ドラマなんて見てる人が面白ければ

連続テレビ小説 第106作「ちむどんどん」を見終えて。


ドラマなんて見てる人が面白ければ、と思っていたが。


自分は直に認識したことはなかったが、「ちむどんどん」反省会なるものがあったとか、なかったとか。
世間の評判はどうあれ、ドラマにしろ映画にしろ、自分が面白ければ、それで良いじゃないかと。(小説でも、ゲームでも、何でも)



「あまちゃん」で”じぇじぇじぇ”が流行ったから、というのは否定できないと思うが、朝ドラで感嘆方言(感嘆詞あるいは感動詞)を織り交ぜるのが、ここ10年来のトレンドだろうか。

そうは言っても、「あまちゃん」以降で観たのは、「マッサン」(毎週日曜の「どーも、NHK]でのダイジェスト版視聴)、「まれ」、「ひよっこ」。
「まれ」で「朝ドラ」の観るべきポイントを確信した。ヒロイン(が若手であった場合)とヒロインを取り巻く友人たちではなく、周りのベテラン俳優の演技を楽しむもの。
「あまちゃん」にいたっては、アキ(能年玲奈)が主人公ではあるが、実際は春子(小泉今日子)の物語だったと思う。特に太巻(古田新太)と”潮騒のメモリー”にまつわる春子のエピソードが判明したとき。ここでの話題ではないが「あまちゃん」は、アキをヒロインに据えた二重構造だったと。

で、「ちむどんどん」である。
前作「カムカムエヴリバディ」の後半、1980年代から1990年代にかけては、自分が世の中を認識し始めた頃と重なり、その時代以降の描かれ方が気になって、つい観てしまった。
朝ドラ録画視聴習慣の流れで、本土復帰の頃からの沖縄を描いているということで、そのあたりが気になって1話から見始めた。

ちなみに、沖縄には本島に過去2回しか行ったことはない。その割にはMXでやっていた「琉神マブヤー」にハマったり。そうそうマブヤー3あたりが、戦後の沖縄が舞台だったのではなかったか。違った、調べたら「琉神マブヤー1972レジェンド」だった・・・。そういうこともあって「ちむどんどん」が気になったのだ。

そして前述の通り、脇を固める俳優陣見たさもあった。
まさかやの、お父ちゃん(大森南朋)はすぐ居なくなってしまっても、
回想シーンで再三の登場。
そして東京編での再登場を期待していた和彦の父親(戸次重幸)も出番が少なく残念。
その代わり期せずして出てきた重子役の鈴木保奈美に、あきさみよー!
最近はヨガの人で有名だった鶴ちゃん(片岡鶴太郎)も良い味出していて。
同じく最近はクセの強い役ばかりだった高嶋弟こと高嶋政伸が良い人だったり。
言わずもがなのオーナー(原田美枝子)、等々。

 だからニーニーがどうしようもなくても、
 お母ちゃんが永遠にニーニーに甘くても、
 ネーネーが重子に押しかけても、
 歌子がずっと病弱でも、・・・

ドラマなんだし、それが”昭和”だろうと楽しんでもいた。

それなのに。
あの最終回は・・・、さすがの私も笑ったよ。

平成を飛び越えての20xw年、令和だって?
みなさん20代でピチピチなので、天下のNHKで老けさせても、そのレベル?っていうほど老けきれていない老装。
どうしてそのままの年代で終われなかったのか。
あんな演出では、半年間がんばってきた出演者たちが哀れだ。

最終回を令和に持ってきたかったのなら、せめて2022年として、本土復帰50年イベントとかと掛けていればまだ良かったと思うのだが、あれは唐突過ぎた。

そして沖縄物として振り返ると、料理がテーマなのは仕方ないにしても。
2000年の沖縄サミットとかを絡めて、そのあたりで暢子がシェフとして腕を振るったとか、和彦も沖縄サミットでジャーナリストして活躍したとか。
そんなオチにできなかったのか。
本当に最後の最後で残念だった。

#ちむどんどん #朝ドラ

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