作品紹介
「不機嫌な女神たち プラス1」作:岡田惠和
演出:田村孝裕
出演:和久井映見、羽田美智子、西田尚美、谷原章介
あらすじ(公式サイトより引用)
田舎町のはずれにある開店したばかりのカフェを営む郁子。
郁子は数年前に旦那と離婚
娘がいるが、都会へ行って全然戻ってこない
介護していた親も死んでしまって、暇。
こどもの頃から一緒に過ごしてきたさつきは地味、しゃべらない、張り合いがない。
そんなとき、東京で作家になったはずの同級生の桂が帰ってくる。
久しぶりの再会ー
女三人が久しぶりに揃った夜、やっぱり昔話になって、恋愛の話になって・・・
そこに「プラス1」の男が現れ・・・
あんなことも、こんなこともあったけど
それでも、なんでも、たのしい。
ギャーギャー喧嘩しながら。
笑って泣きながら。
感想というより触発されて思ったことなど
観劇日:紀伊國屋ホール 2019年10月21日新鮮なうちに帰りの電車でスマホにメモした内容をもとに、ネタバレしない程度で。
(結婚を機に)旧友を捨てた身としては羨ましい物語だった。
辞めた人たちを含め、会社の同期に仲の良い連中はいるが、彼らにも地元の友達は居る。
彼らと話していて、その地元の友達との話になると、特に昔から続けているイベント・行事の話を聞くと嫉妬にも似たうらやましさを覚えることもある。
この舞台の登場人物達は50代前半だろうから、今の自分からしてみれば約10年後。
その時ははまだ会社にいたとしても、その後、定年を迎えたら。
自分はどこに居所を求めるのだろう。
積ん読したままだった筒井康隆の「敵」を、何故か新婚旅行に携行し、飛行機の待ち時間やフライト中に読んだが。
今考えてみれば我ながら、未来を示唆した物語だった訳だと、このタイミングで観劇中に思ったり。
ちょっと話が逸れた。
岡田脚本の舞台は「スタンド・バイ・ユー ~家庭内再婚~」以来。
そもそも現在金欠になりながらも芝居を見に通っているのは、「スタンド・バイ・ユー」に激しく魅せられたからだ。
もちろんそれ以前に岡田脚本のドラマにもやられていた。「ちゅらさん」こそ観ていなかったが、直近では「ひよっこ」にハマりまくっていた。
だから岡田作品ファンと言えなくもないが。
それでもファン感情を差し置いても色々考えさせられた。
孤独は好きだが、それはこれまで学校や会社でイヤでも人と関わざるを得なかったから。
信じられないことだが、小学生の頃は暇を持て余していた。
今はやりたいことが消化できずに鬱憤がたまる週末、長期休暇だからこそ、定年後の自由時間に憧れるだけなのだろうか。
実際は社会との接点がなくなって孤独な老人となってしまうのか。
そんなことまで考えてしまった。
何でもできる自由を手に入れた代償に、全てが自己責任。
別に誰に責任とってもらいたいわけではないが、悲観的にもなる。
金があれば良いのか?
友がいれば、良いのか?
こんだけ色んなエンタメが溢れているのに文学が廃れないのって、多分、文学ってそういうことなんでしょう。
最近映画を観ていないが、やはり舞台は良い。
チケット代にシステム料等がかかって10000円弱は、正直安くはないが、出演者1人あたり2500円と考えれば安いか。
実際は、脚本に演出、そして幾多の裏方もいらっしゃるわけで。
やはり「生」で得られる感動を、チケット代で考えてはいけないな。
TVにはTVの、映画には映画の、ゲームにはゲームのそれぞれ良さがあって、それらでしか味わえないものがあるように、観劇でしか得られない臨場感というか空気感があって、これは高尚な趣味なのかもしれない。そのための対価。
夏目漱石の後半作品でもよく観劇(芝居)に行く場面があったし。
今回は面白いだけでなく、いろいろ考えるきっかけにもなって、良い経験だったと思う。
ところで、観劇中のドリンクはOKにしても良いんじゃない、昭和じゃないんだから。
ほとんど音の発生しないペットボトルなら可とか。
作品というよりも古い劇場はNGなのかな。
<おまけ>
芝居を観に行ったら記念にプログラム(パンフレット)を買うようにしている。
今回は2000円とちょっとお高め。
カフェが舞台なので、そのカフェのメニューを模したもの。
そしてドリップコーヒーが付いてくる。
まぁ記念品なので、惜しまず速攻売り場に向かいましたよ。
慌ただしくない休日の午後、じっくり味わっていただきたいな。
今考えてみれば我ながら、未来を示唆した物語だった訳だと、このタイミングで観劇中に思ったり。
ちょっと話が逸れた。
岡田脚本の舞台は「スタンド・バイ・ユー ~家庭内再婚~」以来。
そもそも現在金欠になりながらも芝居を見に通っているのは、「スタンド・バイ・ユー」に激しく魅せられたからだ。
もちろんそれ以前に岡田脚本のドラマにもやられていた。「ちゅらさん」こそ観ていなかったが、直近では「ひよっこ」にハマりまくっていた。
だから岡田作品ファンと言えなくもないが。
それでもファン感情を差し置いても色々考えさせられた。
孤独は好きだが、それはこれまで学校や会社でイヤでも人と関わざるを得なかったから。
信じられないことだが、小学生の頃は暇を持て余していた。
今はやりたいことが消化できずに鬱憤がたまる週末、長期休暇だからこそ、定年後の自由時間に憧れるだけなのだろうか。
実際は社会との接点がなくなって孤独な老人となってしまうのか。
そんなことまで考えてしまった。
何でもできる自由を手に入れた代償に、全てが自己責任。
別に誰に責任とってもらいたいわけではないが、悲観的にもなる。
金があれば良いのか?
友がいれば、良いのか?
こんだけ色んなエンタメが溢れているのに文学が廃れないのって、多分、文学ってそういうことなんでしょう。
最近映画を観ていないが、やはり舞台は良い。
チケット代にシステム料等がかかって10000円弱は、正直安くはないが、出演者1人あたり2500円と考えれば安いか。
実際は、脚本に演出、そして幾多の裏方もいらっしゃるわけで。
やはり「生」で得られる感動を、チケット代で考えてはいけないな。
TVにはTVの、映画には映画の、ゲームにはゲームのそれぞれ良さがあって、それらでしか味わえないものがあるように、観劇でしか得られない臨場感というか空気感があって、これは高尚な趣味なのかもしれない。そのための対価。
夏目漱石の後半作品でもよく観劇(芝居)に行く場面があったし。
今回は面白いだけでなく、いろいろ考えるきっかけにもなって、良い経験だったと思う。
ところで、観劇中のドリンクはOKにしても良いんじゃない、昭和じゃないんだから。
ほとんど音の発生しないペットボトルなら可とか。
作品というよりも古い劇場はNGなのかな。
<おまけ>
芝居を観に行ったら記念にプログラム(パンフレット)を買うようにしている。
今回は2000円とちょっとお高め。
カフェが舞台なので、そのカフェのメニューを模したもの。
そしてドリップコーヒーが付いてくる。
まぁ記念品なので、惜しまず速攻売り場に向かいましたよ。
慌ただしくない休日の午後、じっくり味わっていただきたいな。
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