マスコミで騒がれる度に気になっていた村上春樹。
気になってはいたけど、ミーハーは嫌いなので、新作や話題作に飛びつくのは嫌。
でもノーベル賞の、発表が近づく度に世間はザワザワしたり。
新作発売日には深夜販売の模様が報道されたり。
深夜販売(解禁)なんて、バブル直後のボジョレーやWindows95並だよ、とか思ったり。
やっぱり騒がれると気になる。
でもどうせ読むなら第一作目から読みたいじゃない。
「そうだ、ガイア・ギアを読もう!」と思い立ち、ブックオフ巡りを始めた頃、新作の発売に沸いていた。
ちょうど良い機会だと考え、「ガイア・ギア」ついでに探すことにした。
そう、お気に入りの作家なら旧作でも新品で買うだろうが、試し読みなので、程度の良い108円を探すことにした。
そうは言っても、村上春樹について何も知らないに等しい。
「ノルウェイの森」だとか、最近だと「1Q84」とかタイトルだけを辛うじて言えるレベルだ。
「ノルウェイの森」だって、予測変換でノルウェーだかノルウェイだか迷う次第だ。
ブックオフからブックオフへの移動中の電車で村上春樹書籍一覧を調べる。
発表(書籍化された)順に読み進めるのは夏目漱石以来。
いや「以来」という表現は間違っている、夏目漱石も道半ばだった。
取りあえず一覧をテキストファイル化しスマホに保存した。
それでも、この行為すら3ヶ月後には忘れていて、2作目はなんだったかなと思ってしまったり。
結論から先に書いてしまいそうだか、次ブックオフに行ったら2冊目を探してみようと思う。
さて、前置きが長くなってしまったが、本題に入ろう。
びっくりするほど、読みやすい。
もっと難解な哲学的な小説かと思った。
舞台は1970年の夏らしい。
いま手元に置かずに書いているので、軽く検索した情報だ。
確か1970年代の話で、回想しているところは1960年代とおぼろげに思いながら読んでいた。
それにしても年代表記がなければいつの時代かわからない。
携帯電話やコンピュータの類が出てこないだけで古さを感じさせない。
現代と言ったら極端かもしれないが、1990年代としても違和感がない。
やたらとタバコを吸ったり、明らかにアルコールが分解されないうちに車に乗ったりと、現在からはカッコ悪かったり常識的に有り得ないこともあるが、それでもだ。
頻発に出てくる「レコード」も時代を物語っているのだろうが、そのままで古さを感じない。
自分としては、ダウンロードは便利だと知っても、物理的な場所を占有しても、やはりパッケージ版だと思っているくちだから余計にそうなのかもしれない。
そうは言っても、レコードで音楽を聴くネイティブではないし、CDネイティブでもなく、デフォルトはカセットテープ。
ただ幼少期、自宅に大きなレコードプレイヤーが置いてあったがレコードがかかっているのはほとんど見た(聴いた)ことがない。
それでもレコード店の風景は現実の記憶としてあるし、CD全盛の頃にもレコード店と呼称されているのを見聞きしてきた。
そんなことも古さを感じさせない遠因なのかもしれない。
レコードもそうだし、タイトルからして「風の歌を聴け」だし、ひょっとしたら村上作品の特徴かもしれないが、色々な曲名が出てくる。
同じように海外文学の作品名も出てくるが、当然のようにどれ一つとして知らない。
ひょっとしなら、十代後半にでも読んでいたら、これらは格好良いイメージと映り少なからず影響を受けていたかもしれない、なんて思ったり。
それでも大学生活の後半に読んだ「深夜特急」は面白かったが、決してバックパッカーを試してみたいとは思わなかったので、影響は限定的だっただろうとも思えたり。
今だからこそ素直に読めるという部分もある。
製図課題と実験レポートと”次世代”ゲーム機に明け暮れていた自分とは、まるで別世界だと受け入れず投げ捨てていたかもしれない。
これが文学であるならば、文学は読み手側の精神年齢、状況でまるで違った受け取り方をするものらしい。
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